オレは若いぜッ!
ここ最近(半年くらい)、自分の性格が少しずつ変わってきていることを実感している。正確には、人生への当たり方、ぶつかり方が変わってきたというべきか?
自分の内に情熱があることを発見したのだ。
このような言い回しをしたのは、以前から存在にはうすうす気づいていたのだが、これまでは、その人生を変えてしまいそうなパワーと危険な匂いにビビり、直視さえできずに持て余していたのだ。
だが、遠巻きの調査の末、委員会により以下の発表がなされた:「その熱には時が経てば失われてしまう儚さと、向こう見ず的な危うさが含まれていることを察知したので、これを若さを由来とする情熱と断定する」
そして、この力が今だけしかないと分かった以上、使わないのはもったいないと議会は結論した!
俺を駆動しているのは、若さゆえの情熱なんだ!何も将来を約束しない、ただ一つの道を指向しない、むやみに拡散する力だ!この力は押し留めておくより、野放図のまま、俺をどこまで連れていくのかを楽しみにしよう!
オレは青いぜッ!
いや、まあね、俺が若い(非おとな)のは確かだけど、俺の中に情熱があるとかは、かなり推定で、大いに脚色と空想を含んでるけど、そういうことにしておこう、そういう物語で今後やっていこうという宣言なのですよ、上の文章は。
自分が最初に見つけたのは、若さが持つパワーの方ではなく、若いが故の負の側面、「青さ」の方だったんですね。それが露見するのがダサくて怖くてみっともなくて、青さを隠すことばかりで、でも、肝心の今の人生を思い切りブン回せてないのは違うだろ、と、そこから「青さ」を「若さ」という肯定的な物語で捉え直していこう、に繋がり、若さの力を情熱と言ってみたりして、コイツを信じて駆けてもいいんじゃねえかとなった訳です。(これも半分くらいは「そういう物語にしておこう」です)
「青さ」ってなんだよという話ですが、俺は今年22歳なのだけども、自分としては「年に対して中身が思ったよりガキ」という意識が強いのです。他の同い年の「普通の人」なら、自分よりクレバーな選択をやっているだろうと、色々なシーンで思うのです。どういうことかというと、こういう年齢ぶっぱとか自分語りとか、人によっては10代なかばで「通り過ぎて」そうなのだけど、俺の場合は今なんだよ。そういうことだよ。
てなわけで、今はまさに自分史における「イタイ期」真っ盛りなわけです。もちろん、ここをなるべく穏便に(青さの露見を)最小限に済ませても良いのだろうけど、ここは情熱ってヤツに任せて、自分語りのカーテン全開!ショータイムだ俺!酸いも甘いも青いも痛いも全部噛み締めていくぜ!という所存です。
蛇足
手元にあった受験向けセンター倫理の本や心理学の本を眺めてみたら、この時期を青年期というらしいです。なんでも、アイデンティティを確立したり疾風怒濤だったりで大変にも関わらず、ボーっとしてるとしょうもない大人になってしまうそうです…
怖くなっていると同時に、「いいだろう、やってやるぜ!」という蛮勇を生じています