何者かになりたかったとか、何者にもなれなかったとか、オタクになりたいとか、承認欲求とか、所属とか、愛の話
こういう話をするときはソースを乗っけた方がいいが、面倒なのでしない。今回の議題はツイッターから拾ってきたものだから、他人のふんどしで相撲、ということになってしまうが、まあこのひとり相撲を見てる奴はいないだろうから別にいいだろ。あなたが俺に怒ってくれたら対応するぜ。
「何者かになりたい」という欲求、これは若者に共通の欲求/悩みではなく、誰かから提示されたものである。一人暮らしをしたい、結婚したい、自分を磨きたい、の類の欲求が、消費のパイを増やそうとする資本主義の発想と手を組んでいるように…
↑というアイデアを膨らませていきます。ほとんど俺の妄想なので、トンデモ陰謀論と大差ないです。そういうのが好きな人のために書いている。俺でさえ嘘くさいと思っている。俺は世間に通じる斬新でイケてる論をぶちあげたいのではない。パンを膨らませるのが好きなのだ。
というわけで「何者かになりたい」という欲がどこからきたのか、という話です。実は消費社会の陰謀だった!といいたいが、たとえ消費社会といえど無から欲をポンポンだすわけにはいかない。たぶん、人間に少なからずある漠然とした欲求に形を与えてあげる、という路線で、大ヒットしたんだと思う。(もしくは、自然発生的に大ヒットしてるのに目をつけた、とか?)
では、その漠然とした欲求とは?それは、本来は欲求ではなく不安。学生の頃の、学内でのポジションどうしよう問題~学生生活終わったあと俺どうしよう問題あたりにあると思います!(勘)(大胆な賭け)
キョロ充のための物語
キョロ充、という言葉がある。知らない人は調べてみてね。俺は、キョロ充ではない人も含めて、本当は大抵の人が潜在的キョロ充ではないかと言ってみる。うまいこと居場所を見つけたものはそれでよし、見つけられず、孤独という居場所も否定してしまった者が、終にキョロ充と確定してしまうのだ。
だが、キョロ充回避の道はまだ続く。学校ではクラス替えがある、卒業しても大学で、そしたら今度は就職先、その裏で、でかい人生、そのものの着地点をさがしている。俺たちは居場所を探してばっかりだ。
そんなキョロ充の民に伝わるおとぎ話;
もう、安寧の”居場所”を探すのは疲れたでしょう。ここで視点を変えてみませんか。あなたが安寧となって、誰かに探されるのです。そうすれば、もう”居場所”を探して苦しむことはありません。
ただし、何になれば安寧に、誰かに探されるようになるのかは、わかりません。少なくとも、今のあなたのままではいけないことはご存知でしょう。さあ、「何者かになるのです」
所属の不安からの永遠の解放!これぞキョロ充の悲願!黙っていても周りに人が集まる、学校で見たいつかの憧憬を我が手に!!
そんなうまい話はない。
喜ばしいことに人は変われるが、悲しいことに人は変わるのだ。
一生安泰な自分の居場所もなければ、死ぬまでチヤホヤされるような何者か、なんて存在しない。(””死ぬまで”チヤホヤをやろうとして、チヤホヤされたまま自殺した人ならいる)
ではどうすればいい!? 不安と一緒に暮らせというのか!?つらい!!
俺はこういうことを考えるとき、コンテンツそのもの、そいつ自身ではなく、その外縁、周りとの関係性、がミソだと思う。(なにを言ってるか俺でも分からんが、とにかく大事な気がするのだ。これからもこの思想をこすり続ける所存)
お前は、お前そのものではない。お前からは、周りへと伸びる無数の相関図の線が伸びている。その線たちによってハリネズミのようになっている、その輪郭がお前だ。
不安はその輪郭がぼやけることへの恐れだ。恐れをなくすには、輪郭の線を濃く強く引けばいいのかというと、そうではない。それではお前から出てお前に帰ってくる相関図の線を一本増やしたに過ぎない。
線たちは既に、予め引かれている。あとはそれを見出すだけだ。万物万象と、関係性の線で繋がっている。
人間関係だけに可視レイヤーを絞るな。
誰かに見つけてもらわなくとも、お前は何かに見つけられている。気づくかどうかだ。
だからお前は、わざわざ何者かになろうとしなくていい。あるようにあれ、生きるように生きろ。
その結果、何者かになろうとするのなら、俺は止めん。お前の道を行けよ。
今どきの安寧は、居場所ではなく、ライセンスにある
イカれた禅問答をこねくり回していたら、新たなアイデアが出てきた。このインターネットのご時世、安寧は居場所ではなく、ライセンスの形を強くとるのではなかろうか、という話である。
居場所型、というのは、たまたま隣の席で同じ班だから、とか、たまたまシフトが同じ日だから、のような、居合わせちまったんだからしょうがないけど仲良く頼みますよ、的なやつである。
ライセンス、というのは、例えば、パワポケが好きで矢部くんの絵ばかり描いてるな運動嫌いな奴は、野球部には居られないが、漫研には居られるだろう。逆に、漫画が大好きでワンピース全巻持っていても絵を描くのが嫌いなやつは漫研には居心地悪いだろうが、オタクサークルで知識枠としてデカイ顔はできる。みたいな、なんらかの選別や淘汰を経て居る、やつとする。
居場所:物理的居場所・名簿的居場所
ライセンス:場所を問わない。そのライセンスが通じるならどこでも安寧できる
両者の比較は、メンバーシップ型/ジョブ型の仕事の対比にも似ている。(というか似せた)
同じ班だから仲良くなったとしても、班が変わればそれまでだ。
ボカロの話ができるなら、何処へ言ってもボカロの話題が通じる限り戦える。
今は、つるむ相手をいつまでも選好できる。とくにインターネット上では。ならば、最後まで選ばれ続けるのは、濃ゆいオタク、そうでしょう?だから若者たちはオタクになりたがる。
どんなにマニアックなネタでも着いてこれる、そんなオタクだけが、生涯の友を得ることができる!友達がほしければオタクになれ!!
別に、この際の話題は「いわゆるオタク」である必要はないが、ネット上で強い話題といったらそりゃオタク的コンテンツ故、みんなその辺を履修しようとするのかしら。
どうしてこんなことになっちまったかというと、先の居場所型で安寧を得られるケースが減ってきたからである!!(本当かよ?)
最早、高校受験、中学受験、早ければ小学校の頃から選別に晒されている我々は、選別の過程を超えたものこそ良い、という思想が染み付いてしまった!!そしてそれを人間関係にも適用しようとする!いや、していない!適用されている、と思い込んでいる!!
オタクでなければ、この話題に入れない、この話題に乗れなければ、お友達にはなれない、そう思い込んでいる!なわけはない!お前が誰かを選別の眼差しで見てないように、誰かもお前のことを選別の眼差しでは見ていない。お前が誰かとお友達になりたいように、誰かもお前とお友達になりたいと、そう思っている!!
本当か!?
そう考えているのは俺だけじゃないか!?
俺は、お前が何を考えているのか、分からん!!だから、想像して、こんなことを書いている!!
ああ、恐ろしい!!他人が何を考えているかわからないことも恐ろしいが、何を考えているかが本当に明らかになることも恐ろしい!!
俺とお前が宇宙の天体なら、近づこうにも近づけず、互いが互いに回っている連星だ!
いや、そのような状態でも衝突がこわい!ここは一つ、あいだに挟もう!
こうして、オタクコンテンツという巨大な星にとりつく衛星が増えていくのです
いつか他の衛星とお近づきになれると信じて